漫画雑想記三

「Masterキートン」(全十八巻)
 初稿 98/11/20、第二稿00/01/01
講談社 勝鹿北星/著 浦沢直樹/画

MasterKeaton 【00/01/01】人生やり直しに伴う全面書き直し

 ふと振り返ると。

 この漫画は私の人生にも影響を与えたのかもしれない。

 キートン先生はオプと呼ばれる保険の調査員だ。殺人事件の調査のため刑事みたいなこともするし、保険の関係から美術品等の鑑定調査とかもする。軍隊にも属していたことがあるので、そういう仕事を臨時にしたりもする。

 考古学畑出身なので鑑定調査とかはお手の物だし、軍隊で鍛えた腕もある。日本人の父親とイギリス人の母親を持ち、オックスフォード大学を出ているから語学も堪能だ。そういうものを十分に活かせるオプの仕事はキートンさんにとって天職みたいなものだ。

 でもキートンさんは言う。

「オプという仕事も好きなんだ。でも一生やりたいのは考古学なんだよね。」
(引用は不正確)

 さてさて私は。
 技術系として大学院まで進み、会社に入ってしまってからようやく自分の一生を賭けたいことが中国史(あるいは歴史)であることに気がついた
 そんな時、いつの間にか上の言葉が

「今の仕事、会社も好きなんだ。でも一生やりたいのは中国史なんだよね。」

という言葉にすり替わり、心の中で終わりのない繰り返しとなっていた。

「一生やりたいこと」
 この言葉は大きい。この漫画には、老人達が関わる話がたくさんある。彼らの態度を見るとき、自分としては思う存分やったと胸を張れる人、仕方なかったんだとでも言いたいような人、頑張ったけどなんだか空しさが残っているような人、自分の為してきたことを苦い思いで振り返る人、様々な人生の悲喜交々が語られる。
 私は人生を終えるとき、どういう思いで自分の人生を振り返るのだろうか。そう思うと「一生やりたいこと」というのは重く、心にのしかかってくる。

 キートンさんの敬愛する先生は言う。
「人間はいつでもどこでも学ぶことが出来る。学ぶ気さえあれば。」
(引用不正確)

 そうなのだ。
 「別に中国史で勉強をするために人生をやり直す必要もないかもしれない。今の会社でだって、あくまで趣味としてなら中国史を勉強することは出来るのだ。通勤電車電車の中だって、仕事から帰ってきた後だって、週末だって、勉強しようと思えば出来る。」

 そう思ったこともあった。
 でもそれを裏返せば、
どんな貧乏な生活だって本は読めるし、古本で買える。どこでもというのなら路頭に迷ってホームレスになってだって本さえあれば勉強できる....」
そう思うようになった。

 そして学べば学ぶほど、中国史というのは先は大海のようで、とてもとても一生追いかけても満足できるものではないと感じ始めた。

 考古学は大変だ。遺跡発掘はお金がかかる。キートンさんは信じる学説があるけれど、考古学って言うのは集団でしかなかなかやれない。大学に正式に属していないキートンさんの活動は困難だ。そんなわけで、臨時講師とかをやりながら、考古学への夢を中途半端な思いで持て余しているキートンさん。
 でも、話の終盤になるにつれ、やがて自分の考古学の夢に前向きに取り組もうと決心する。お金はいずれにせよ必要だから、オプの仕事も必要な時は頑張ろうとする。

 私も中国の考古学は面白いと思う。でも私は文献史学だけでも十分面白いと思う。
 研究には金がかかるとされるけど、それでも文献史学はまだましだろう。そうなると私の場合は研究(勉強)の為の金を確保するために、会社に残っていた方が有利だという話にはならない。別に貧乏生活だって構わないのだ。そもそも望んで入った会社でもあり、そういう中途半端な気持ちで会社にいるのは一番嫌なことだった。
 キートンさんと違って全然優秀ではないし、そもそも一度もきちんと学校で歴史学を学んだことがないけれど、でもでもキートンさんの「学びたい心」はすごくすごくよく分かり、負けない自信があった。

 考えてみれば実はキートンさんってカッコよくない。なんでも中途半端なのだ。考古学を研究しようと大学を進んでいたけど、途中で結婚して子供まで生み、それから離婚して軍隊にふいっと入ってしまう。そこでも優秀だったけど、これまた辞めて保険のオプになる。
 考古学では臨時講師とかもやっているけど、その生き方は今ひとつはっきりしなくて、娘からは「しゃきっとしなさいよ!」と言われる始末。オプに関しては安定したかなりの収入があるみたいだけど、本当の思いは考古学にあり、また別れた奥さんにも未練たらたらしている所がある。

 もちろん一話一話ではキートンさんはすごくカッコイイのだけど、それはキートンさんの活躍がカッコいいのであって、キートンさん自身の生き方は決してカッコいいとは言えないと私は思う。
 けれども前述のように次第にキートンさんは自分の心を固めていくようになる。考古学に対する思い「今」と「過去」から確かめていき、そして最後の「未来」へと至る。私は、これこそがこの漫画の一番カッコいい所ではないかと思うのだ。

 著者がどこまで考えていたかは分からないけれど、私はこの漫画はキートンさんが自分の考古学に対する思い出を振り返り、そしてそこから新たな生き方を決心するまでの、心の成長物語になっていると思う。
 それが個々の話が素晴らしいのにもまして、全体としても気持ちよく終わっている理由の一つなのだろう。

 キートンさんを自分に比したけど、それは凄く烏滸がましいことで、敢えて比するとしたら由里子がオックスフォードで考古学を学ぶことを望んでいる程度かもしれない。

 でも、私もやっと一歩踏みだしたことで、キートンさんの最終話みたいな笑顔が出来るようになった、と思う。
 キートンさん、勇気を与えてくれて有り難う。私も頑張ります。


以下は98年に書いた紹介です

 この漫画の面白さは,映画のような面白さでもあり,本のような面白さでもある。
 これがこの本を人に知らしめたいと思ってからこの二年間で捻り出した稚拙な表現である。

 あなたは映画の面白さを御存知だろうか。テンポの良いストーリー、粋な男とカッコイイ女たち、終わった後に目に残る眩いシーン、後まで気持ちに残る余韻。

 あなたは本の面白さを御存知だろうか。知識は興味を生み出し、興味は知識を生み出す。新しいことを知る楽しさ、物事に気がつかされる衝撃。心に響き、後々まで忘れられない名台詞、そしてそして登場人物たちの生き方への感動。

 この漫画にはそういうものが詰まっている。ジャンルはドラマ物とでも言ったらいいのだろうか。考古学をやりたいが現在は保険会社の調査員で飯を食う主人公、平賀太一キートン。彼には元軍隊出身で腕を鳴らしたという経歴もある。そのため、ストーリは、考古学に関すること、保険事件に関すること、軍隊に関すること、それ以外のこと、それぞれが絡んだり、単独だったりして実に飽きさせない。

 私は漫画を読み始めたのが遅かったせいか、好みに偏りがあり、感覚には自信がない。しかし面白い漫画を薦めてくれと言われたら躊躇わずに「この本を読んでくれ」というだろう。いろいろな観点から見る面白さでは今まで読んだ少ない漫画の中で、この漫画がもっとも面白いと思うし、またそう思ってくれる人も多いと思いたいし、思うのである。

 いろいろな漫画にはそれぞれの面白さがある。自分は面白くても他人は簡単に頷かないだろうな、という面白さを持っている漫画も多い。というかそういう漫画が一般的である。しかし本書はいろんな人に読んでもらって「うん、確かに面白いね」と言って欲しい漫画なのだ。

 漫画を読み漁っている親しい友(彼に教わったのであるが)も未だにこの漫画が一番のようだ。もっとも彼とは好きなものの感覚が似ているのでこの話はあまりあてにはならないが。ともかくこの漫画を「大して面白くないな」と思う人は,恐らく私とは残念ながら好きな物語の感覚が違うのであろう。

 著者は葛鹿北星なる人物で、絵は浦沢直樹。前者の人物は結構謎の人物であるが、最初はこの漫画の面白さは彼により創作されているかと思っていた。しかし現在「SEED」なる愚作を作っているようであるし、また浦沢直樹の「Monster」の秀逸さを見るにつけ、実は浦沢氏の功績も大きいのではないかという思いもしている。現在、「Monster」は結構知られているようだが、その面白さの源泉で、より幅広い意味で面白い「Masterキートン」が知られていないのは至極残念である。

 この漫画は完結し、またその終わり方も良かったが、しかし終わったからといってこのまま埋もれるような漫画ではないと思っていた。漫画がじわじわと広まって行くのはもちろん、映画化されるか、アニメ化されるか、小説化されるか、何かしらまた別な形で注目されるだろうと思っていた。そうしたら98年11月現在,深夜TVの枠でアニメ化されている。しかし「Masterキートン」の面白さから言ってこの程度じゃ終わらないはずだ。

 ただ悲しくべくは時事ネタが結構多いということだ。湾岸戦争の結果が出る前からイラクの大敗を予想するなど、当時リアルタイムで読んでいる楽しさもあった。ソ連のペレストロイカの推進、東西ドイツの統一、そういうことを話題にした話も多く,そういうところが古びていくのは遺憾ともしがたい。

 高校まではほとんど漫画を読まなかった私が,大学に入って勧められて読んだ最初の方の漫画である。その後は漫画雑誌などは相変わらず読まないが,「面白い漫画無いかな」ということで勧めてもらったり,自分で探したりするようになった。「世の中には『Masterキートン』くらい面白い漫画がある。もしかするとそれに匹敵するくらい面白いしれない」...というのを期待して今も新しい漫画の表紙を開くのである。